城西エピソード集
城西エピソード集
A様(80代)パーキンソン病 脳出血後遺症
「家に連れて帰れば治る」。 ご主人は頑として譲りませんでした。
50代でパーキンソン病と診断され、当院で診察を受けながら、外来リハビリ、服薬を続けてこられたAさん。 通院やリハビリ時の送迎は行うものの院内には来られないご主人とは、Aさんが要支援1の認定を受けたことをきっかけにお話するようになりました。
時おり転倒し、切り傷や痣を作ることはあったものの夫婦二人の穏やかな生活が続いていましたが、突如Aさんがめまいを訴え救急搬送。 脳出血でした。 幸い出血は軽く、手術等には至りませんでしたが、入院が長引いたこともありパーキンソン症状が急激に悪化、リハビリのできる病院に転院。要介護4の認定を受けました。
パーキンソン病特有の震え、一日の中での症状の変化、夜間の不穏症状などが出現し、移動、排泄、入浴、食事(口から食べることができないため管から栄養剤を注入)、痰の吸引など常に介護が必要な状態に。
周囲は「(夫)ひとりでは介護できない。入所した方がいい。」と勧めましたが、ご主人は「介護サービスを使わなくても自分一人で看られる」と主張。 遠方の家族を含め、話し合いは数か月に渡り平行線を辿りました。
ご主人の介護方法はかなり自己流、介護サービスも拒否的、家は段差だらけ。自宅に帰ることは危険が大きい。でもお二人の気持ちは揺るぎませんでした。
「帰りたい」。いつも囁くような声しか出せないAさんがはっきりとおっしゃいました。
ご主人とも繰り返し話をし、介護用ベッドや車いす、吸引器などを用意、訪問看護、デイサービス、外来リハビリ等を組み合わせた一週間の予定を一緒に立て、とうとう退院。ご自宅に戻ってこられました。退院しても転倒や窒息を起こしてすぐに再入院になってしまうのでは、という不安もありましたが、数回の発熱のみで穏やかに過ごされています。
「家に連れて帰れば治る」。残念ながら、家に帰っても、入院していても、進行性の病気は治りません。高齢者が若返ることもありません。不老不死はあり得ません。それでも「家に帰りたい」という気持ちは叶うかもしれません。
外来リハビリを終えたお二人を病院玄関で見送ると、Aさんが車椅子から立ち上がりました。危ない、とつい口走った私をご主人が制しました。ふらつきはあるものの、しっかりと足を振り出したAさんとご主人は手をつなぎあい、駐車場へと歩いて向かっていきました。
B様(40代)全身性エリテマトーデス
ある年の1月当院受診。訪問診察にて徐々に全身状態が改善してきたため、8月より隔週で当院訪問リハ開始。
リハ開始時は日中ベッド臥位で居る時間が長く、体力低下により生活範囲の制限あり。皮膚が薄く、圧迫により容易にあざが残る状態で、寝返りも出来ず介助を要する状態でした。臥位での運動から開始し、座位、立位と徐々に姿勢や負荷を増やし、調理や手芸などの作業も取り入れてのリハビリを実施。
リハ開始時より自主トレーニングには積極的に実施。本人の頑張りもあり、体力UPとともに起きている時間が徐々に増加。外出時間も徐々に増え、10月には車に乗って3時間程度のドライブが可能になり、12月には受診の為に5時間程座位保持することができるようになりました。
自宅での生活もテレビを少し見る程度から、徐々に友人に年賀状を書く、インターネットを使うなど、能動的なものへ生活が変化しました。
翌年1月にはコンビニやパン屋内を歩いて回ることができるようになり、7月には家族と一緒にお菓子作りや料理も簡単な物を実施。助手席のシートの角度を変えつつ、片道6時間のドライブを経て家族旅行にも行けるようになりました。
外出ができるようになったことで、8月より外来受診へ変更。映画を見に行ったり、外出を楽しむために歩行器や杖2本使用を試すなど、活動性向上。さらに翌年5月にはペットを飼い始め、階段にも意欲を示す様になり、6月からは階段昇降を開始しました。
C様(70代)大脳基底核変性症 / D様(40代)パーキンソン病
C様は、ある年より城西神経内科クリニックを受診。服部医師の診察を受けながら、週数回の外来リハビリを行なっていました。
奥様は献身的に寄り添っていましたが、発語困難や表情変化の喪失といった大脳皮質基底核変性症特有の症状が、家族を困惑させていました。
D様はC様の娘様。30代でパーキンソン病の告知を受け、当院、服部医師の外来に通いながら経過観察を行っています。
若年性パーキンソン病ならではの課題や、父の病との関連性に悩みながらも、前向きに病と向き合っています。周囲から「ピアノを弾くことは無理」と言われたそうですが、持ち前の力強さで克服。通院の傍ら、難病カフェ ソワニエでピアノを披露したり、仲間との交流を楽しまれています。
ある日、D様が両親を連れてソワニエを訪れました。どうしても父にピアノを聴かせたいとのこと。無理と言われたベートーベンを奏でる姿は、病を克服したかのような力強さがありました。
そして、娘の姿を優しい眼差しで見守るC様の表情は、最近では見られることの無かった、穏やかな父親のお顔でした。